スノオヒト

自分の≪好き≫を大切に。自分の≪素材≫を大切に。

..なりたい目元が叶うのは何もエクステだけではない、という話..

 

 

私はまつげエクステを施術してますが、

まつげエクステこそまつげ美容の最高峰とは別に思わないです。

 

 

まつげエクステ

まつげパーマ、

つけまつげ、

ビューラー+マスカラ、

(ここもホットビューラーかそうじゃないかという分け方もできる)

などなど、

 

 

まつげにおける美容の選択肢は今の時代色々あるかと思うんですが、

それぞれにそれぞれの良さがあると思います。

 

 

ざっと簡単にまとめると

 

 

<まつげエクステ>

・アイメイクの手間がずいぶんはぶける

・相手から見た、目を閉じた時のまつげ、伏目のまつげの美しさ

 

 

<まつげパーマ>

・自まつげを面の揃った綺麗なカールに整えられる

・マスカラでのメイクが楽しめる

 

 

<つけまつげ>

・パッと見でわかるほど幅の広いデザインが楽しめる

・短時間その時だけ出したい瞬間最大風速的な華やかさが出る

 

 

<ビューラー+マスカラ>

・とにかく色んなアイメイクを自分の手で追及できる

 

 

って感じでしょうか。

 

 

要はまつげエクステ、まつげパーマ、つけまつげ、ビューラー+マスカラ、

どれでもいいのです。

 

 

自分のなりたい目元が実現できる手段なら。

 

 

もちろんそれぞれにデメリットもありますから。

 

 

実際私自身も常にエクステをしてるかと言われればそうでもなく

使ってみたいマスカラやカラーマスカラがあったら

ビューラー+マスカラな時期を過ごすし

(カラーマスカラとカラーエクステの表現はまた違いますから

↑なんか変なギャグみたいになったけどw)

ダンスするときはつけまつげ使います。

 

 

要は自分のなりたい目元に対して

どの手段が有効か、ということかと。

 

 

なのでぼんやりでも漠然でもいいから

「こういう目元だと素敵だな」っていう自分の中のイメージを

お客様も普段から探していて下さるといいのではないかな、と。

 

 

恥ずかしかったり

私なんかそんなあれだし、、みたいな気持ちがあったりして

ご自身の希望を明確に伝えるのって

お客様側からしたら気が引けたりするかもしれないんですけど

 

 

「こうなりたい」を伝えられて嫌な技術者っていないと思うし

むしろ「素敵♡やろうやろうー!」って技術者が多いんじゃないかな、と。

 

 

ただ「なにがなんでもこうしてくれ!!!!」みたいなのは

「いや無理だから」ってシーンもありますけどねw

ひとまず落ち着いてくれ、とw

 

 

例えばですけど

「視線だけで男の人とちょっといい感じになれるようになりたいです」

って言われたら、私ならちょっと面白くてそれなりに考えます。

あくまで当社比ですけども。

ブルゾンちえみと上戸彩ではやっぱスタート地点がだいぶ違いますから。

 

 

話は逸れましたけど

要はエクステでなくてもなりたい目元は叶う可能性があるし

エクステだから叶うかもしれないし

 

 

もうなんなら素まつげのままが一番かわいいじゃんって人もいるし

 

 

まつげ美容各種それぞれのメリットデメリットを踏まえながら

そのときそのときのベストな選択をできたらいいのではないでしょうか、

という話でした。

 

 

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..あんまり正解にとらわれると動けなくなります..

 

 

正解にとらわれたり間違うことを極端に恐れると

かえって動けなくなるなぁと思うのです。

 

 

そんなことを、友達や子供と話す中で

2日連続思いました。

 

 

例えば子供の場合なら、学校とか。

手を挙げて間違うのが嫌だなぁ、

宿題のプリントを提出した後×がつくのが嫌だなぁとか。

 

 

例えばシングルマザーなら、

この仕事っていう選択肢でお金の苦労なく育てられるのか、とか。

 

 

そりゃみんなできるなら何事も失敗せず、スムーズに進んでいきたいはず。

 

 

ただ失敗を恐れるあまり、あまりにも手堅く手堅くと考えると

かえって自分自身が硬くなり、

のびのびと本来の力を発揮できなくなると思うのです。

(※無茶、無謀を選択しろというわけではないですw)

 

 

近くばかりにとらわれて遠くが見れなくなってもだめだし

遠くばっかり見て近くをおろそかにしてもだめだし

 

 

2+5=7みたいに答えが1つの場合もあれば

「この朝顔を見てどう思う?」みたいな問いなら

答えが1つじゃない場合もあるわけで。

 

 

そういえば最近何でも裏表、対極にある両方が存在して

そのバランスが大事だなぁと思うことも多い。

 

 

books.rakuten.co.jp

 

 

そんな中この本をたまたま読んで

「あ、羽生さんはその両方の大事さを知っていて、

そのバランス感覚がとてもいいのだなぁ」と思いました。

(それは今回話がそれるのでまた別の機会にでも。)

 

 

失敗しない正解を一発目からつかめたらそれはそれでいいのかもしれないけど

それを一発目からつかもうつかもうとしてしまうと

とれる選択肢に柔軟性もなくなって

すると正解をつかもうとしてるはずなのに

可能性も狭まって

結果つかみたい正解からますます遠ざかるんじゃないかなぁと。

 

 

なんでもいいからやってみよう、

間違ってもいいからやってみよう、

聞いたことがない人はいないような聞きなれた言葉だけど

その意味はただ言葉を聞いて浮かべるイメージよりも

もっともっと実際は深いような気がする最近です。

 

 

ちなみに私のことで言うと

例えば月30万稼ぎたかったとして

30万を1つの仕事で稼ぐのか

10万×3つの仕事でいくのかみたいな。

 

 

昔は30万×1派だったと思うんですよねー。

でも実は10万×3のほうが私には向いてる気がするんですよね。

 

 

ただ、個人差はあるでしょうけど

世間的な一般論レベルだと

そこに関する正解は30万×1を思い浮かべる人のほうが多いかと。

 

 

で、多数決的にそっちのほうが多いからって

それを勝手に正解だと思い込んで

自分的視点を忘れて30万×1を掴もうとすると

なかなか動ける選択肢が狭まって難しいと思うんですよね。

(もちろん自分的視点だけに寄りすぎてもだめなんだけど)

 

 

ちなみに3をしんどいと感じるか感じないか、も人によって違って。

一般的にはイメージだけだと3をしんどいと感じる人が多いのかも?

私の場合は1か所にはりつきのほうがしんどいです。

 

 

何か1つを突き詰めるのも大事だし

それが正解みたいな空気って世間的にはあるけど

私は3つそれぞれで学んだことを残り2つにいかすのが

今現在は自分に合っている気がする。

 

 

10万×3が30万×1にいつかなるかもしれないし

30万×1もいつか10万×3になるかもしれないし。

 

 

やりたいこと、やってみたらいいんじゃないですか、と。

で、やりながら微調整かけていくのがいいんじゃないかと。

やりたいことやってたって先はわからないし

やりたくないことやってたって先はわからないし。

 

 

コントロールできる部分とコントロールできない部分ってあるし。

 

 

その時の流れみたいなのもあるし。

 

 

得手不得手は人それぞれ違うから

あまり正解探しにとらわれすぎることなく

自分の持てる力をのびのび発揮できる方法でいきましょう。

 

 

そして誰かを育てるみたいな立場にいる人なら

押し付けることなく

その人の持てる力をのびのび発揮してもらうには

どうしたらいいかって考えるといいのかもしれませんなー。

 

 

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自分自身の正解を探すくせみたいなのについて書いた記事が

あった気がしてリンク貼りたかったんですが、

見つけられませんでしたw

 

 

 

..偶然シェルパティーに出会う..

 

 

栓があいてから数日経ったシャンパンがあって

ふと、紅茶にジャム入れてそれ混ぜたらなんかいい感じになりそーって思って

作ってみた。

 

 

で、そんな飲み物存在するのかなあって調べてみたらあるらしい。

 

 

シェルパティー。

 

 


ヒマラヤ登山を助けるガイドのシェルパたちが、

疲れを癒すために飲んだことから始まった。

 

 

高地で気温が低くなりやすく、

手早く手軽にビタミンと糖分を補給して疲労回復する必要があったから、

熱い紅茶に自生していた山ブドウと砂糖を混入したのがシェルパティーのきっかけだとか。

 

 

山ブドウと砂糖→カシスジャム

ワイン→気の抜けたシャンパン、と、

ずいぶん変形しましたがまあ似たような感じかなあとw

 

 

香りもよくてオシャレよ♡

 

 

しかも、夜ぜーんぶ終わったあと、

ベランダで涼みつつ飲むと

あらあら、ちょっとしたカフェやん♡

 

 

と、こんな感じで、私の毎日は結構楽しい。

 

 

毎日何かしら発見し、

毎日何かしらに心が動く。

 

 

毎日何かに「へーっ」と思い、

毎日何かに「素敵だなあ」と思う。

 

 

そして聞いて聞いてーって誰かに言いたくなるw

 

 

で、その結果、SNSにアップしたりする。

 

 

ただ、いかんせん、へーって思ったり素敵だなあって思ったり

聞いて聞いてーって言いたくなる回数が多いww

 

 

自分でも多すぎないか!?と思う。

感動のハードルが低いのかなw

 

 

必然的にSNSのアップ回数が増えるんだけど…

 

 

FBもTwitterもインスタもblogもあって

ほんとは華麗に使い分けたいのだけど

なんとなーくで使ってるから

非常にいずれのSNSも内容がカオスだなあと最近自分で思うのですw

 

 

しかもアップ多いとうざいかなあとか微妙に思ったりwww

 

 

でも、やっぱり言いたくなったりwww

 

 

表現ってやっぱり奥が深いなーと思う最近でした。

 

 

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ちなみにシェルパティー、

さすがヒマラヤの高地で飲む飲み物。

ホカホカあったまりすぎて、

関西の夏に飲む飲み物じゃなかったww

 

 

次はアイスシェルパティーにしてみたいと思います。

 

 

..優しいとまわりも優しくなる、は、超ほんとみたい..

 

 

「なんでそんなに優しいんですか?」

と他のママに聞かれて、

「私が優しいというよりは、今日は子供の感性が私を優しくしてくれた気がする」

と、ドラマか!っていうようなセリフを恥ずかしげもなく返しました。

 

 

そんな今日、は、

 

 

子供たちの素晴らしい感受性と素敵な感性に触れた日でした。

 

 

オリーブや何かの実、ジャスミンやラベンダーが咲く場所で、

虫を見つけたり花を摘んだり。

摘んだ実やラベンダーの花で焼きそばを作ると言い出したり、

それを見守ったり。

 

 

そうこうしてるうちに木の椅子に座れと。

BBQをするからママがお客さんね、と。

 

 

「何が食べたいですか?」

スペシャルにお料理しますね」

 

 

そう言いながら摘んだ植物でお料理する女の子たち。

どっかへ行ったと思ったら自分のハンカチを濡らして帰ってきて

テーブルを拭いてくれる男の子。

(何ならその辺の柱まで拭くので尽くすタイプなのだろうかと気になったw)

 

 

料理にはお水が必要だと思ったのか

近くの飲食店からビニールカップに入れた水を調達してくる男の子。

それを「その辺に撒いといて」と女の子に冷たくあしらわれた時の

男の子の戸惑った顔ww

 

 

冷たくあしらわれたビニールカップのお水の中に花や実を浮かべ、

ラベンダーを挿してテーブルに飾ってくれる男の子。

(間違いなく男性のほうがロマンチストだと確信した瞬間だったw)

 

 

薄暗い空と点灯し始めるライトのオレンジの光に

手作りのテーブルセッティングがとてもかわいくて綺麗で

私の人生の中でこれを越えるおもてなしに出会える日はきっとないと思うくらいでした。

 

 

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↑「桜餅が食べたい」という私のリクエストに対して

女の子たちが持てる素材で返してきたクオリティにびびる。

本当に子どもの感性は素晴らしい。

 

 

ちなみに蕎麦が食べたいという立ち食い蕎麦好きの私のリクエストには

長いラベンダーが一本提供されましたw

ウケるw

 

 

そうしてそんなことをしてるうちに

買い物してたほかのママが帰ってきて解散

 

 

全員が手作りのビニールカップのお花の飾りを持って帰りたいと言う。

いいよーと言っていたら他のママはダメだと言い、

いいよーと言う私に

「なんでそんなに優しいの?自転車で来てるのに持って帰るの!?」

と言う。

 

 

そうして冒頭に書いた返事を返した。

優しいのは私じゃない。

私がもしこの時優しかったんだとしたら、

子供たちの優しさに触れて、その優しさが私に伝わっただけだと思う。

 

 

「いいママだね」とほかのママが娘に言ったけど、

全然いいママでもない。

多すぎるプリントを見るのがめんどくさくて参観日を見落とすし

一度目を通したことも忘れるし、

おばあちゃんのほうがよほど小学校のことを把握しているww

(うん、私ちゃんとやったほうがいいよね…)

 

 

娘には「ママはすぐ忘れるからドリーみたいだ」と言われたこともある。

(うん、これではいけないよね…)

 

 

「こんなの持って帰ってどうするの?」という他のママの質問には

「しばらく置いとくw」と答えたww

でもしばらく置いといた挙句後片付けするのはおばあちゃんであるw

だいたい私が思い出して「あ!」ってなった頃には

「もうやりました」とおばあちゃんに言われるww

 

 

このあとビニールカップの水や花をこぼさないようにゆっくりチャリで帰ったけど

19時台にそんな悠長なことができるのも

晩御飯を作っているのがおばあちゃんだからであるw

 

 

少なくとも離婚して仙台でしばらく二人だったときは

そんな心の余裕はなかった気がする。

気がするどころか間違いなくなかったw

 

 

子供たちはいつだって大人が忘れそうな素敵な世界を見せてくれる。

でもその子供たちが繰り広げる素敵な世界も

こちら側に余裕がないと見落としてしまう・

 

 

自分のハンカチで拭いたテーブルに出された

桜餅も焼きそばもビニールカップのお花も、

私の人生の素敵な光景ランキング暫定一位である。

 

 

子供の優しさが私に伝わって、それがほかのママに伝わったりしたのかな。

優しさが伝わって優しさが増える世界は優しい。

 

 

..あなたと私の、持てる世界を交換しよう..

 

 

と、さも恋愛かのようなタイトルをつけてしまいましたが、、

 

 

表現、って世の中にいっぱいある。

アート、音楽、ダンス、芝居、ものを書くことetc...

表現と言われて思いつくワードはいっぱい。

 

 

だけどこないだふと思いました。

表現なんて無縁の世界だ、と思って生きている人でも、

実は毎瞬毎瞬が表現なんじゃないかなあと。

 

 

表現なんてどこか遠い華やかな世界のこと、

と思っているその人も

日々生活する中での一挙手一投足が無意識に表現。

 

 

歩き方、話し方、表情、食べ方、出す空気etc...

意識的、無意識関わらずみんな何かしらの表現をしてる。

そう思うとなんか面白く感じました。

 

 

世界にはたくさん知らないことがあって
私はそれを見たり知ったりなんだりして
「へーっ!」ってなるのが楽しい。

 

 

色々なものに、人に、価値観に、考えに触れる。

それ自体が私は楽しい。

 

 

しかも人と接すること自体が好きだから、

結果「へーっ!」とまではいかなくても楽しいw

 

 

生きるなんてたいそうな話じゃなくても
日々生活する中で誰かと接すること。

それはもう、私とその誰かとの表現の交差。

 

 

程度の差はあれど、その交差でお互いがお互いに何らかの影響を与える。

(楽しくなったり悲しくなったり嬉しくなったり特に何も感じなかったり)

 

 

言い換えれば、私が持てる世界とその人の持てる世界の交換。

 

 

いい意味でも悪い意味でも表現には力がある、

っていうのは私の友達の言葉で、

表現には確かに素敵な面もあれば怖い面もある。

 

 

なんだけど、私は生きてる中で色々な表現に触れていきたいな、と思う。

相手の意識的、無意識関わらず、

その目の前の相手との表現の交わりを楽しみたいと思う。

 

 

あなたと私の持てる世界の交換。

 

 

いつだって私の心に響くのは

誰の言葉かわからない言葉じゃなく

その人自身の言葉。

 

 

あなたはどんな世界を持ってますか?

 

 

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くちなしの花たくさんもらいました。

 

 

くちなしの切り花は目で楽しむというより

鼻で楽しむお花だそうで、

その話の通り、とってもいい香り。

 

 

..【必要以上に狭く狭く入り込みそうなときは、あえて違う方向にどーんとおっきく振ってみる】..

 

 

少し前に一年ぶりに腰をいためてしまいまして、

「わー、どこがいけなかったかな」

「なんだかんだ新しく慣れない環境で雑な身体の使い方をしていたかな」

「こっからもう一回どうする」etc...

考えすぎてもいけないと思いつつもどっかで考え始めるわけです。

 

 

で、腰の調子が悪いから腰の話だけを考えてればいいんだけど

そういう時にしがちなのが無駄な派生ww

 

 

そもそもなんで踊ってんの」とか

「日本人である私がわざわざベリーダンスをする意味って何だろう」とか

「私よりうまい人はごまんといるのに私があえて踊る必要って何」とかww

 

 

やめときゃいいのに考える。

調子悪いときに考えたっていい考え浮かぶはずないのに考える。

やめようと思っても考える。

上沼恵美子も「深夜に考え事していいことひとつもあらへん」って言うてたなぁ』

と思いながらもやっぱり考えるww

 

 

世界は広いのに、勝手に一人で狭いほう狭いほうへ入り込む。

しかも今の段階の自分に答えが出せないことまで考え始めるww

 

 

そんなことを数日続けて、

とうとう逆に振りました。

 

 

世界は広いのだとはとりあえず知っているから

狭いほう狭いほうへ入り込む自分を広い世界へ放り込む。

 

 

今自分がフォーカスしてる世界とは違う世界に触れること。

 

 

聴きたいなぁと思った曲をとりあえず聴いてみる。

(今回は葉加瀬太郎の“冷静と情熱のあいだ”から始まり、初期のimageでした。

ヨーヨー・マリベルタンゴとか。)

表現は表現でも自分のしてる表現とは一見関係なそうな表現に触れる。

(ロバート秋山さんのクリエイターズファイル祭に行く予定が入ってた。)

 

 

そんなことをしてるうちに自然と、

狭く狭く入り込んでた世界から出てました。

日常的に触れてるわけじゃない分野の良さを知って

『世界広いな』ってなって、

少し前まで入り込んでた世界に対しても距離をとれるようになるのです。

 

 

それ、気分転換って言うんだよ、と言われれば確かにそうなんだけどw

またちょっとそれとも違うような作業。

 

 

でも私はずーっとそれができなかったんですよねー。

かなり長い間。

同じことに数週間数か月平気で囚われる人だったww

 

 

美容師の時とか特に、

毎日忙しくてその世界に埋没していて、

世界が広いなんてこともわかってなくて

毎日疲れててww

 

 

でも離れてしばらくしたときになんか思ったんですよねー。

ほかの世界に触れる時間を意識的に持っていれば

たとえハードで疲れていたとしてもw

もうちょっと違う感じでその仕事と関われていたかもしれないな、って。

 

 

だから今回やってみました。

狭く狭く入り込む自分に広い世界を見せる作戦。

 

 

成功っぽい☆

 

 

あくまでも私の主観だけど

imageコンピレーションの一作目は表現することを楽しんでる感じの音に聞こえる。

ロバート秋山のクリエイターズファイルも本人が楽しそうに見える。

(どっちにも私の想像以上の産みの苦しみみたいのはたぶんあるんだろうけど)

 

 

表現を楽しんでる表現を見ると

「あぁ、自分もこういう楽しさで最初やってたんだな」

って思い出すというか

なんかほどける感じになりました。

 

 

この世界はどんな小さなパーツもすべて表現に溢れてる。

自分では表現とは無縁だと思って過ごしてる人も

毎瞬毎瞬すべてが表現のように私は感じる。

 

 

おやすみなさい☆★

 

 

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..ベリーを通じて得た人の存在に心あたたまる夜..

 

 

近くにいなくても

何かの時は気にかけてくれて一緒に考えてくれて

「あ、深刻すぎたわ」って気づかせてくれたり

「今そこまで考えなくていっか」って気づかせてくれたり。

 

 

ちょうどいい温度で何か意見交換できたり。

 

 

そんな真剣な話じゃなくても

くだらない話で笑ったり。

 

 

そんな人たちをベリーダンスを通じてたくさん得たと思う。

(なんか今は、出会ったより得たがしっくりくる)

 

 

なんか楽しいから始まって

好きや楽しいで続けて

でもなんか好きや楽しいだけだった次の段階に行くのかもーみたいな感じもありながら、

 

 

一人一人段階も違うし

ベリーダンスに対する考えも違うだろうし

私が今知る以上にもっと広くベリーの世界はあって、

何年か経ったらあの時の私まじスライムみたいに感じたりするんだろうし、

 

 

みんなは今どんな感じで何を感じてるのかを話すこと自体ももう楽しくて

自分自身がどんな踊り手になるのかも全く見えないし

でもそれが楽しみなようで怖くもあり。

 

 

陽、光、その後ろにある強く湧く思い、

そして透明感、浄化、みたいな、

そのへんがキーワードな踊り手になれたらと今は思う。

 

 

みんながイメージする今の段階での理想の踊り手としての自分の姿ってどんななのかな。

 

 

ベリーダンスを通して得たたくさんのものを思って心が温かくなる夜。

 

 

みんな優しく色々渡してくれてありがとう。

 

 

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お気に入りの作品集から撮ってきた

理想の踊りのイメージ映像w