スノオヒト

私の雑記

..【私もしたからあなたもして当たり前】という思考..

 

 

〈自分も苦労したからあなたもそれをして当たり前〉

〈自分は苦労したけど嫌だったからあなたはしなくていい〉

 

 

人間というのは大きく分けて、その二種類に分かれる。

そんな気がたまにする。

 

 

そしてどちらかというと、

世の中前者のほうが圧倒的に多いのかもしれない、

そんな気すらする時がある。

 

 

嫁姑とか、先輩後輩とか、

なんだかんだ世の中にはそういうシーンがよくある。

 

 

(もちろん境目は常にグラデーションなので

どちらかというと前者、だとか、時と場合により変化する人、

また苦労にも種類があることは前提)

 

 

ちなみに私は後者でありたいなあと思う。

私はかつてしたけれど、

今考えるとそんなに必要な苦労ではない気がするから

工夫すればしなくていいのでは?

工夫してしなくていいように持っていければ楽しいよね、

そんな感じでいたい。

 

 

〈自分も苦労したからあなたもそれをして当たり前〉

この思想はとっても危ない気がする。

そして思考のストップが甚だしいし

創造性や工夫などそこには何一つない。

 

 

そんな狭い思考でいるより

工夫して創造することは楽しいと思う。

 

 

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私の位置からこの問題に対してできることはなんでしょうね。

 

 

..【複数の柱で自分を支える】..

 

 

私の今の収入源は複数です。

お花のお仕事、

ヘアサロンのお仕事、

個人で受ける美容やお花のお仕事などなど。

 

 

最近この、複数収入源を持つメリットをとても感じます。

 

 

というのも、何か一つの収入源で自分を支えると

自分を支えることがどうしても優先事項として高くなるので、

目の前の相手に本当に必要でないかもしれなくても

売りたくなる、売らなきゃいけなくなるシーンが出てくると思うんですね。

 

 

私は基本、目の前の人に必要だと思わなければ

目の前の人がそれを必要と思うんじゃなければ

売りたくないです。

 

 

メリットはこれだけどデメリットはこれ、

それを踏まえた上で必要ならGO、

このスタンスでいきたいです。

 

 

なので、収入源が一つでないということは

極端な言い方をすれば別にそれがなくなっても

今日明日にすぐに困ることはないということ。

 

 

なのでその瞬間瞬間に固執しないし

相手を無理やり動かそうともしないし

自分も無理に動かないし

自分も固執しないです。

 

 

でも本当に必要だと思って買ってもらえると嬉しいです。

 

 

ちょっと話はそれますが、

複数何かをやっているから

じゃあ一つ一つのクオリティが下がるかというと

決してそんなことはない気がします。

 

 

世間一般には「これしかない」と確固たる意志を持って

ガッと何か一つに邁進する人がすごいという風潮がある気がします。

私のスタンスはどれも中途半端と見なされる可能性もあるかと。

 

 

ただ自分で日々生きていて思うのですが、

複数の世界を持つことで自分の世界も広くなり

ある分野で得たことを違う分野で大いにいかしたりもできるので

 

 

少なくとも私個人に関しては

「何か一つに絞ってそれをやり遂げなければいけない」みたいなのが

根底にあった時期と

「複数のこと同時並行だと相乗効果あるやん」な感じの今とでは

一つ一つのクオリティが今のほうがずっと高いと

主観ではありますが思います。

 

 

話は戻りますが、今私は実家にいるので

別で暮らすのに比べると

生活にかかる費用を大幅にカットできるという点では

それも自分を支える柱の一つですね。

 

 

人それぞれですが、

私にはこの複数の柱を持つやり方が合っているなと思います。

 

 

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..師弟関係という名の元に行われる静かなるDV..

 

 

世の中ほんとに山ほど

理不尽な師弟関係が存在するんだなあと思う最近。

 

 

しかもそれを甘んじて受け入れている弟子側が多すぎる、という事実。

 

 

恩師とは思われるもんであって

思わせるもんじゃないんだぜ?

 

 

誰かに何かを習っていて

確かにその分野ではその人が先をいってるのかもしれないけど

 

 

お互い大人同士なら違う場所でそれぞれの経験も持っているわけで。

(※たとえ大人と子どもでもそうである)

 

 

その分野で上だからって、

全て上だと錯覚してませんか?

(そもそも上や下って表現が私はあまり好きではないのだけど

わかりやすいので使います。)

 

 

色んな人の話を聞いていて、

<師>と呼ばれる立場の人間に

そんな人があまりに多くて私はびっくりする。

 

 

何度でも言おう。

 

 

恩師とは思われるもんであって

思わせるもんじゃないんだぜ?w

 

 

師弟である前に、先生と生徒である前に、

上司と部下である前に、親と子である前に

それぞれ別のフィールドも持った立派な一人の人間じゃないですか。

 

 

そんなこともわからず

最低限の敬意も払えない人間から

何を学べと言うんでしょう?

 

 

師である、

先生である、

上司である、

親である、

 

 

そんな自分のほうが上だとわざわざ誇示しなきゃ

敬意を払ってもらえないんでしょーか。

 

 

そんなんだから払ってもらえないんじゃないですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そんなに上であることを誇示してまで

守りたいものは一体なんですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そしてその守りたいものは

そこまでするほど世界から見て価値のあるものなんですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

世界は広いんだぜ。

 

 

..........................................................................................................

 

 

で、同時に思うこと。

 

 

さも自分が上であるかのように振る舞う人から

さも自分が下であるかのように思わされてる人々。

 

 

なんでそこにおさまっちゃうの?w

 

 

何度でも言おう、

そう、世界は広いんだぜ٩( ᐛ )و

 

 

そんな狭いところに自ら入り込まないで

どうにかこうにかそこから出て、

世界は広いと知ったほうがいいと思う。

 

 

だってそのほうが、絶対楽しいから。

 

 

そこから出たらもう世界が終わるみたいに思わされてるかもしれないけど

絶対終わらないからwww

まじ、断言できるw

 

 

DVか!と突っ込みたくなるような、上下関係、

上の人なんてほったらかして

さっさとそこから出てしまえばいい。

 

 

下の人間を持ってることが自分を飾るアクセサリー、

みたいな、そんな感覚の人の下にいる必要、

全くないと思います( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そんなやつ、こっちから願い下げだぜっ。

 

 

上下関係、教える、教わるの関係の名の下に

盲目になって全てに目を閉じてしまわないこと。

 

 

目の前のその人がそれを言う、

その言葉は何のために発せられてるか、

その行動は何のためか、

 

 

ちゃんと自分で判断するのだよ。

 

 

まあ今色んな話を聞いてこんなこと言ってる私も

かつてそんな人の下にいたなあとしみじみ。

 

 

もう二度とそんなん嫌だけどね( ´ ▽ ` )ノ

 

 

☆今日の名言☆

 

 

⚫︎恩師とは思われるもんであって思わせるもんではない

 

⚫︎世界は広い

 

⚫︎敬意とは払われるものであって払わせるものではない

 

 

以上。

 

 

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..なりたい目元が叶うのは何もエクステだけではない、という話..

 

 

私はまつげエクステを施術してますが、

まつげエクステこそまつげ美容の最高峰とは別に思わないです。

 

 

まつげエクステ

まつげパーマ、

つけまつげ、

ビューラー+マスカラ、

(ここもホットビューラーかそうじゃないかという分け方もできる)

などなど、

 

 

まつげにおける美容の選択肢は今の時代色々あるかと思うんですが、

それぞれにそれぞれの良さがあると思います。

 

 

ざっと簡単にまとめると

 

 

<まつげエクステ>

・アイメイクの手間がずいぶんはぶける

・相手から見た、目を閉じた時のまつげ、伏目のまつげの美しさ

 

 

<まつげパーマ>

・自まつげを面の揃った綺麗なカールに整えられる

・マスカラでのメイクが楽しめる

 

 

<つけまつげ>

・パッと見でわかるほど幅の広いデザインが楽しめる

・短時間その時だけ出したい瞬間最大風速的な華やかさが出る

 

 

<ビューラー+マスカラ>

・とにかく色んなアイメイクを自分の手で追及できる

 

 

って感じでしょうか。

 

 

要はまつげエクステ、まつげパーマ、つけまつげ、ビューラー+マスカラ、

どれでもいいのです。

 

 

自分のなりたい目元が実現できる手段なら。

 

 

もちろんそれぞれにデメリットもありますから。

 

 

実際私自身も常にエクステをしてるかと言われればそうでもなく

使ってみたいマスカラやカラーマスカラがあったら

ビューラー+マスカラな時期を過ごすし

(カラーマスカラとカラーエクステの表現はまた違いますから

↑なんか変なギャグみたいになったけどw)

ダンスするときはつけまつげ使います。

 

 

要は自分のなりたい目元に対して

どの手段が有効か、ということかと。

 

 

なのでぼんやりでも漠然でもいいから

「こういう目元だと素敵だな」っていう自分の中のイメージを

お客様も普段から探していて下さるといいのではないかな、と。

 

 

恥ずかしかったり

私なんかそんなあれだし、、みたいな気持ちがあったりして

ご自身の希望を明確に伝えるのって

お客様側からしたら気が引けたりするかもしれないんですけど

 

 

「こうなりたい」を伝えられて嫌な技術者っていないと思うし

むしろ「素敵♡やろうやろうー!」って技術者が多いんじゃないかな、と。

 

 

ただ「なにがなんでもこうしてくれ!!!!」みたいなのは

「いや無理だから」ってシーンもありますけどねw

ひとまず落ち着いてくれ、とw

 

 

例えばですけど

「視線だけで男の人とちょっといい感じになれるようになりたいです」

って言われたら、私ならちょっと面白くてそれなりに考えます。

あくまで当社比ですけども。

ブルゾンちえみと上戸彩ではやっぱスタート地点がだいぶ違いますから。

 

 

話は逸れましたけど

要はエクステでなくてもなりたい目元は叶う可能性があるし

エクステだから叶うかもしれないし

 

 

もうなんなら素まつげのままが一番かわいいじゃんって人もいるし

 

 

まつげ美容各種それぞれのメリットデメリットを踏まえながら

そのときそのときのベストな選択をできたらいいのではないでしょうか、

という話でした。

 

 

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..あんまり正解にとらわれると動けなくなります..

 

 

正解にとらわれたり間違うことを極端に恐れると

かえって動けなくなるなぁと思うのです。

 

 

そんなことを、友達や子供と話す中で

2日連続思いました。

 

 

例えば子供の場合なら、学校とか。

手を挙げて間違うのが嫌だなぁ、

宿題のプリントを提出した後×がつくのが嫌だなぁとか。

 

 

例えばシングルマザーなら、

この仕事っていう選択肢でお金の苦労なく育てられるのか、とか。

 

 

そりゃみんなできるなら何事も失敗せず、スムーズに進んでいきたいはず。

 

 

ただ失敗を恐れるあまり、あまりにも手堅く手堅くと考えると

かえって自分自身が硬くなり、

のびのびと本来の力を発揮できなくなると思うのです。

(※無茶、無謀を選択しろというわけではないですw)

 

 

近くばかりにとらわれて遠くが見れなくなってもだめだし

遠くばっかり見て近くをおろそかにしてもだめだし

 

 

2+5=7みたいに答えが1つの場合もあれば

「この朝顔を見てどう思う?」みたいな問いなら

答えが1つじゃない場合もあるわけで。

 

 

そういえば最近何でも裏表、対極にある両方が存在して

そのバランスが大事だなぁと思うことも多い。

 

 

books.rakuten.co.jp

 

 

そんな中この本をたまたま読んで

「あ、羽生さんはその両方の大事さを知っていて、

そのバランス感覚がとてもいいのだなぁ」と思いました。

(それは今回話がそれるのでまた別の機会にでも。)

 

 

失敗しない正解を一発目からつかめたらそれはそれでいいのかもしれないけど

それを一発目からつかもうつかもうとしてしまうと

とれる選択肢に柔軟性もなくなって

すると正解をつかもうとしてるはずなのに

可能性も狭まって

結果つかみたい正解からますます遠ざかるんじゃないかなぁと。

 

 

なんでもいいからやってみよう、

間違ってもいいからやってみよう、

聞いたことがない人はいないような聞きなれた言葉だけど

その意味はただ言葉を聞いて浮かべるイメージよりも

もっともっと実際は深いような気がする最近です。

 

 

ちなみに私のことで言うと

例えば月30万稼ぎたかったとして

30万を1つの仕事で稼ぐのか

10万×3つの仕事でいくのかみたいな。

 

 

昔は30万×1派だったと思うんですよねー。

でも実は10万×3のほうが私には向いてる気がするんですよね。

 

 

ただ、個人差はあるでしょうけど

世間的な一般論レベルだと

そこに関する正解は30万×1を思い浮かべる人のほうが多いかと。

 

 

で、多数決的にそっちのほうが多いからって

それを勝手に正解だと思い込んで

自分的視点を忘れて30万×1を掴もうとすると

なかなか動ける選択肢が狭まって難しいと思うんですよね。

(もちろん自分的視点だけに寄りすぎてもだめなんだけど)

 

 

ちなみに3をしんどいと感じるか感じないか、も人によって違って。

一般的にはイメージだけだと3をしんどいと感じる人が多いのかも?

私の場合は1か所にはりつきのほうがしんどいです。

 

 

何か1つを突き詰めるのも大事だし

それが正解みたいな空気って世間的にはあるけど

私は3つそれぞれで学んだことを残り2つにいかすのが

今現在は自分に合っている気がする。

 

 

10万×3が30万×1にいつかなるかもしれないし

30万×1もいつか10万×3になるかもしれないし。

 

 

やりたいこと、やってみたらいいんじゃないですか、と。

で、やりながら微調整かけていくのがいいんじゃないかと。

やりたいことやってたって先はわからないし

やりたくないことやってたって先はわからないし。

 

 

コントロールできる部分とコントロールできない部分ってあるし。

 

 

その時の流れみたいなのもあるし。

 

 

得手不得手は人それぞれ違うから

あまり正解探しにとらわれすぎることなく

自分の持てる力をのびのび発揮できる方法でいきましょう。

 

 

そして誰かを育てるみたいな立場にいる人なら

押し付けることなく

その人の持てる力をのびのび発揮してもらうには

どうしたらいいかって考えるといいのかもしれませんなー。

 

 

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自分自身の正解を探すくせみたいなのについて書いた記事が

あった気がしてリンク貼りたかったんですが、

見つけられませんでしたw

 

 

 

..偶然シェルパティーに出会う..

 

 

栓があいてから数日経ったシャンパンがあって

ふと、紅茶にジャム入れてそれ混ぜたらなんかいい感じになりそーって思って

作ってみた。

 

 

で、そんな飲み物存在するのかなあって調べてみたらあるらしい。

 

 

シェルパティー。

 

 


ヒマラヤ登山を助けるガイドのシェルパたちが、

疲れを癒すために飲んだことから始まった。

 

 

高地で気温が低くなりやすく、

手早く手軽にビタミンと糖分を補給して疲労回復する必要があったから、

熱い紅茶に自生していた山ブドウと砂糖を混入したのがシェルパティーのきっかけだとか。

 

 

山ブドウと砂糖→カシスジャム

ワイン→気の抜けたシャンパン、と、

ずいぶん変形しましたがまあ似たような感じかなあとw

 

 

香りもよくてオシャレよ♡

 

 

しかも、夜ぜーんぶ終わったあと、

ベランダで涼みつつ飲むと

あらあら、ちょっとしたカフェやん♡

 

 

と、こんな感じで、私の毎日は結構楽しい。

 

 

毎日何かしら発見し、

毎日何かしらに心が動く。

 

 

毎日何かに「へーっ」と思い、

毎日何かに「素敵だなあ」と思う。

 

 

そして聞いて聞いてーって誰かに言いたくなるw

 

 

で、その結果、SNSにアップしたりする。

 

 

ただ、いかんせん、へーって思ったり素敵だなあって思ったり

聞いて聞いてーって言いたくなる回数が多いww

 

 

自分でも多すぎないか!?と思う。

感動のハードルが低いのかなw

 

 

必然的にSNSのアップ回数が増えるんだけど…

 

 

FBもTwitterもインスタもblogもあって

ほんとは華麗に使い分けたいのだけど

なんとなーくで使ってるから

非常にいずれのSNSも内容がカオスだなあと最近自分で思うのですw

 

 

しかもアップ多いとうざいかなあとか微妙に思ったりwww

 

 

でも、やっぱり言いたくなったりwww

 

 

表現ってやっぱり奥が深いなーと思う最近でした。

 

 

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ちなみにシェルパティー、

さすがヒマラヤの高地で飲む飲み物。

ホカホカあったまりすぎて、

関西の夏に飲む飲み物じゃなかったww

 

 

次はアイスシェルパティーにしてみたいと思います。

 

 

..優しいとまわりも優しくなる、は、超ほんとみたい..

 

 

「なんでそんなに優しいんですか?」

と他のママに聞かれて、

「私が優しいというよりは、今日は子供の感性が私を優しくしてくれた気がする」

と、ドラマか!っていうようなセリフを恥ずかしげもなく返しました。

 

 

そんな今日、は、

 

 

子供たちの素晴らしい感受性と素敵な感性に触れた日でした。

 

 

オリーブや何かの実、ジャスミンやラベンダーが咲く場所で、

虫を見つけたり花を摘んだり。

摘んだ実やラベンダーの花で焼きそばを作ると言い出したり、

それを見守ったり。

 

 

そうこうしてるうちに木の椅子に座れと。

BBQをするからママがお客さんね、と。

 

 

「何が食べたいですか?」

スペシャルにお料理しますね」

 

 

そう言いながら摘んだ植物でお料理する女の子たち。

どっかへ行ったと思ったら自分のハンカチを濡らして帰ってきて

テーブルを拭いてくれる男の子。

(何ならその辺の柱まで拭くので尽くすタイプなのだろうかと気になったw)

 

 

料理にはお水が必要だと思ったのか

近くの飲食店からビニールカップに入れた水を調達してくる男の子。

それを「その辺に撒いといて」と女の子に冷たくあしらわれた時の

男の子の戸惑った顔ww

 

 

冷たくあしらわれたビニールカップのお水の中に花や実を浮かべ、

ラベンダーを挿してテーブルに飾ってくれる男の子。

(間違いなく男性のほうがロマンチストだと確信した瞬間だったw)

 

 

薄暗い空と点灯し始めるライトのオレンジの光に

手作りのテーブルセッティングがとてもかわいくて綺麗で

私の人生の中でこれを越えるおもてなしに出会える日はきっとないと思うくらいでした。

 

 

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↑「桜餅が食べたい」という私のリクエストに対して

女の子たちが持てる素材で返してきたクオリティにびびる。

本当に子どもの感性は素晴らしい。

 

 

ちなみに蕎麦が食べたいという立ち食い蕎麦好きの私のリクエストには

長いラベンダーが一本提供されましたw

ウケるw

 

 

そうしてそんなことをしてるうちに

買い物してたほかのママが帰ってきて解散

 

 

全員が手作りのビニールカップのお花の飾りを持って帰りたいと言う。

いいよーと言っていたら他のママはダメだと言い、

いいよーと言う私に

「なんでそんなに優しいの?自転車で来てるのに持って帰るの!?」

と言う。

 

 

そうして冒頭に書いた返事を返した。

優しいのは私じゃない。

私がもしこの時優しかったんだとしたら、

子供たちの優しさに触れて、その優しさが私に伝わっただけだと思う。

 

 

「いいママだね」とほかのママが娘に言ったけど、

全然いいママでもない。

多すぎるプリントを見るのがめんどくさくて参観日を見落とすし

一度目を通したことも忘れるし、

おばあちゃんのほうがよほど小学校のことを把握しているww

(うん、私ちゃんとやったほうがいいよね…)

 

 

娘には「ママはすぐ忘れるからドリーみたいだ」と言われたこともある。

(うん、これではいけないよね…)

 

 

「こんなの持って帰ってどうするの?」という他のママの質問には

「しばらく置いとくw」と答えたww

でもしばらく置いといた挙句後片付けするのはおばあちゃんであるw

だいたい私が思い出して「あ!」ってなった頃には

「もうやりました」とおばあちゃんに言われるww

 

 

このあとビニールカップの水や花をこぼさないようにゆっくりチャリで帰ったけど

19時台にそんな悠長なことができるのも

晩御飯を作っているのがおばあちゃんだからであるw

 

 

少なくとも離婚して仙台でしばらく二人だったときは

そんな心の余裕はなかった気がする。

気がするどころか間違いなくなかったw

 

 

子供たちはいつだって大人が忘れそうな素敵な世界を見せてくれる。

でもその子供たちが繰り広げる素敵な世界も

こちら側に余裕がないと見落としてしまう・

 

 

自分のハンカチで拭いたテーブルに出された

桜餅も焼きそばもビニールカップのお花も、

私の人生の素敵な光景ランキング暫定一位である。

 

 

子供の優しさが私に伝わって、それがほかのママに伝わったりしたのかな。

優しさが伝わって優しさが増える世界は優しい。