スノオヒト

私の雑記

..【その発言や行動の出どころが果たしてフラットか?】..

 

 

日常に往々にしてあること。

 

 

自分の正しさを主張したいがために人を落とすこと。

自己顕示欲やコンプレックスから何かを言ってしまうこと。

支配欲から何かを言ったりしたりしてしまうこと。

 

 

世の中のいろんな犯罪やトラブルは突き詰めていくと

その辺に原因が集約される気が最近している。

(そっちに言及しだすと話が散らかるのでまた今度)

 

 

自分は生きていく上で、

そういうものに過剰に支配されず、

フラットな目線で発言、行動できる人でいたいなあと思います。

(フラットとは何か、も人によって変わりますね、きっと)

 

 

自分があのとき発した言葉、

あのときとった態度の出発点は果たしてフラットだったか?

変なプライドや自己顕示欲、支配欲、コンプレックス、

そういうものに振り回された結果ではなかったか?

そんな振り返りも大切な気がしています。

 

 

ただ、プライドや自己顕示欲、コンプレックス、

支配欲や正しさを主張したい気持ち、

そういうのはどうやら人間の持つ性質の一部であるみたいで、

多かれ少なかれいくらかはみんな持っている。

 

 

それがよく働くことも大いにある。

 

 

なのでそれ自体が全て必ず悪いというわけではなく、

おそらく問題は〈その使い方〉なのかなあと思ったりもします。

 

 

大事なのは人間というものにそういう性質があることを知って、

それをどう扱うか、を振り回されずに選択する。

その辺かなあと。

 

 

俯瞰(客観?)での視線、大事だな。

 

 

ちなみにここまで述べた色々は

同時に相手にも言えることで、

相手の発言、態度などなどが必ずしもフラットな発生源とは限らない。

 

 

なので全てをを正面から受けすぎる必要はないし、

だからと言って自分と違うからって蔑む必要もない。

 

 

こう考えていくと、

人と接することで自分の輪郭が浮かび上がるシーンは多く、

人と接することは改めて

〈自分の考え〉や〈目指したいところ〉を確認するきっかけになるのだなあと思ったりします。

 

 

面白いなあ。

 

 

いろんな人がいろんなことを発信する昨今ですが、

それらもすべて自分の中を改めて見るきっかけになっている気がします。

 

↓この記事からnoteもつくりました↓

こっちのblogの気に入ってる記事はnoteにも一部持っていこうと思ってます。

https://note.mu/moriko1202/n/n6c6b2354adb5

 

 

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..【ドラクエ IIIのオープニングで気づいたこと】..

 

 

ドラクエIIIのオープニングで言われました。

『あなたは頭が良すぎる。

だから人がバカに見えることがある。

でも誰もあなたにそれを誰も言いません。

あなたを傷つけるとわかっているから。

周りもまた、あなたのように賢いのです。』

 

 

目から鱗

そうか、そうか、うん、そうだな。

確かにそうかもしれない。 

それではいけない。

それは決して私の理想ではない。

人に心の中で要求するばかりで、自分は一体何様なんだ。

心を改めよう、人として成長しよう。

↑今朝思ったこと。

 

......................................................................

 

ところで、

◯◯になりたい!

お金をいっぱい稼ぎたい!

◯◯になって△△がしたい!

お金を稼いで△△がしたい!

 

 

世の中にはそういうのがたくさんあるけれど、

どれも私の心のうちとはなんか違うなと今まで思っていました。

 

 

◯◯になったらなったで色々苦楽があるだろうけど

それだけがやりたいかと言われたら違うし

お金はないと困るけどある程度あればいい。

人より上にいくことに興味もないし

『上』ってそもそもなんなのか思うタイプで。

 

 

まあ強いて言えば

「世界が平和になればいーのにな」とか

「目の前の世界がより優しく美しくなるように」とか、

何かの時にはそんなふわっとした表現を使っていました。

 

 

でも結局私は『人として成長したい』のだと思います。

自分の描く理想の人になりたいのだと思います。

それは職業がこれ、とか、こんな服を着てる、とか、

人からこう思われてる、とか、

プロフェッショナル仕事の流儀に出る、とかではなく。

 

 

ましてや仙人のように山奥にこもって

修行だけに勤しみたいわけでもありません。

 

 

いいバランス感覚を持って『人として成長したい』。

どうせ死にますけども、生きてる間は人として成長したい。

 

 

その中の個別の要素として、

仕事や遊びや趣味や日々の生活やらなんやかんやがある。

 

 

それぞれを通じて人として成長する。

 

 

そうなってくると、結構選択が変わります。

忙しさにかまけて雑な対応をする私は理想の自分ではないし、

知らないふりして誰かやるだろ、な自分は理想の自分ではないのです。

「理想の自分ならこのシーン、どうしてるかな?」

そんなRPG的チョイスが毎瞬訪れます。

 

 

24時間365日しかないので、もちろん取捨選択、

すべてに100%は無理だし、

その時々のエネルギーバランスをとることは

必須ですが。

 

 

ということで、

まだ最初の街の外にも出てなければ道具1つ買っていない段階で

ドラクエIIIを通じて感じたことをまとめました。

 

 

仕事の休憩が終わるので、このへんで。

これは雑、ではなく、エネルギーバランスです。

 

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..【私もしたからあなたもして当たり前】という思考..

 

 

〈自分も苦労したからあなたもそれをして当たり前〉

〈自分は苦労したけど嫌だったからあなたはしなくていい〉

 

 

人間というのは大きく分けて、その二種類に分かれる。

そんな気がたまにする。

 

 

そしてどちらかというと、

世の中前者のほうが圧倒的に多いのかもしれない、

そんな気すらする時がある。

 

 

嫁姑とか、先輩後輩とか、

なんだかんだ世の中にはそういうシーンがよくある。

 

 

(もちろん境目は常にグラデーションなので

どちらかというと前者、だとか、時と場合により変化する人、

また苦労にも種類があることは前提)

 

 

ちなみに私は後者でありたいなあと思う。

私はかつてしたけれど、

今考えるとそんなに必要な苦労ではない気がするから

工夫すればしなくていいのでは?

工夫してしなくていいように持っていければ楽しいよね、

そんな感じでいたい。

 

 

〈自分も苦労したからあなたもそれをして当たり前〉

この思想はとっても危ない気がする。

そして思考のストップが甚だしいし

創造性や工夫などそこには何一つない。

 

 

そんな狭い思考でいるより

工夫して創造することは楽しいと思う。

 

 

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私の位置からこの問題に対してできることはなんでしょうね。

 

 

..【複数の柱で自分を支える】..

 

 

私の今の収入源は複数です。

お花のお仕事、

ヘアサロンのお仕事、

個人で受ける美容やお花のお仕事などなど。

 

 

最近この、複数収入源を持つメリットをとても感じます。

 

 

というのも、何か一つの収入源で自分を支えると

自分を支えることがどうしても優先事項として高くなるので、

目の前の相手に本当に必要でないかもしれなくても

売りたくなる、売らなきゃいけなくなるシーンが出てくると思うんですね。

 

 

私は基本、目の前の人に必要だと思わなければ

目の前の人がそれを必要と思うんじゃなければ

売りたくないです。

 

 

メリットはこれだけどデメリットはこれ、

それを踏まえた上で必要ならGO、

このスタンスでいきたいです。

 

 

なので、収入源が一つでないということは

極端な言い方をすれば別にそれがなくなっても

今日明日にすぐに困ることはないということ。

 

 

なのでその瞬間瞬間に固執しないし

相手を無理やり動かそうともしないし

自分も無理に動かないし

自分も固執しないです。

 

 

でも本当に必要だと思って買ってもらえると嬉しいです。

 

 

ちょっと話はそれますが、

複数何かをやっているから

じゃあ一つ一つのクオリティが下がるかというと

決してそんなことはない気がします。

 

 

世間一般には「これしかない」と確固たる意志を持って

ガッと何か一つに邁進する人がすごいという風潮がある気がします。

私のスタンスはどれも中途半端と見なされる可能性もあるかと。

 

 

ただ自分で日々生きていて思うのですが、

複数の世界を持つことで自分の世界も広くなり

ある分野で得たことを違う分野で大いにいかしたりもできるので

 

 

少なくとも私個人に関しては

「何か一つに絞ってそれをやり遂げなければいけない」みたいなのが

根底にあった時期と

「複数のこと同時並行だと相乗効果あるやん」な感じの今とでは

一つ一つのクオリティが今のほうがずっと高いと

主観ではありますが思います。

 

 

話は戻りますが、今私は実家にいるので

別で暮らすのに比べると

生活にかかる費用を大幅にカットできるという点では

それも自分を支える柱の一つですね。

 

 

人それぞれですが、

私にはこの複数の柱を持つやり方が合っているなと思います。

 

 

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..師弟関係という名の元に行われる静かなるDV..

 

 

世の中ほんとに山ほど

理不尽な師弟関係が存在するんだなあと思う最近。

 

 

しかもそれを甘んじて受け入れている弟子側が多すぎる、という事実。

 

 

恩師とは思われるもんであって

思わせるもんじゃないんだぜ?

 

 

誰かに何かを習っていて

確かにその分野ではその人が先をいってるのかもしれないけど

 

 

お互い大人同士なら違う場所でそれぞれの経験も持っているわけで。

(※たとえ大人と子どもでもそうである)

 

 

その分野で上だからって、

全て上だと錯覚してませんか?

(そもそも上や下って表現が私はあまり好きではないのだけど

わかりやすいので使います。)

 

 

色んな人の話を聞いていて、

<師>と呼ばれる立場の人間に

そんな人があまりに多くて私はびっくりする。

 

 

何度でも言おう。

 

 

恩師とは思われるもんであって

思わせるもんじゃないんだぜ?w

 

 

師弟である前に、先生と生徒である前に、

上司と部下である前に、親と子である前に

それぞれ別のフィールドも持った立派な一人の人間じゃないですか。

 

 

そんなこともわからず

最低限の敬意も払えない人間から

何を学べと言うんでしょう?

 

 

師である、

先生である、

上司である、

親である、

 

 

そんな自分のほうが上だとわざわざ誇示しなきゃ

敬意を払ってもらえないんでしょーか。

 

 

そんなんだから払ってもらえないんじゃないですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そんなに上であることを誇示してまで

守りたいものは一体なんですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そしてその守りたいものは

そこまでするほど世界から見て価値のあるものなんですか?( ´ ▽ ` )ノ

 

 

世界は広いんだぜ。

 

 

..........................................................................................................

 

 

で、同時に思うこと。

 

 

さも自分が上であるかのように振る舞う人から

さも自分が下であるかのように思わされてる人々。

 

 

なんでそこにおさまっちゃうの?w

 

 

何度でも言おう、

そう、世界は広いんだぜ٩( ᐛ )و

 

 

そんな狭いところに自ら入り込まないで

どうにかこうにかそこから出て、

世界は広いと知ったほうがいいと思う。

 

 

だってそのほうが、絶対楽しいから。

 

 

そこから出たらもう世界が終わるみたいに思わされてるかもしれないけど

絶対終わらないからwww

まじ、断言できるw

 

 

DVか!と突っ込みたくなるような、上下関係、

上の人なんてほったらかして

さっさとそこから出てしまえばいい。

 

 

下の人間を持ってることが自分を飾るアクセサリー、

みたいな、そんな感覚の人の下にいる必要、

全くないと思います( ´ ▽ ` )ノ

 

 

そんなやつ、こっちから願い下げだぜっ。

 

 

上下関係、教える、教わるの関係の名の下に

盲目になって全てに目を閉じてしまわないこと。

 

 

目の前のその人がそれを言う、

その言葉は何のために発せられてるか、

その行動は何のためか、

 

 

ちゃんと自分で判断するのだよ。

 

 

まあ今色んな話を聞いてこんなこと言ってる私も

かつてそんな人の下にいたなあとしみじみ。

 

 

もう二度とそんなん嫌だけどね( ´ ▽ ` )ノ

 

 

☆今日の名言☆

 

 

⚫︎恩師とは思われるもんであって思わせるもんではない

 

⚫︎世界は広い

 

⚫︎敬意とは払われるものであって払わせるものではない

 

 

以上。

 

 

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..なりたい目元が叶うのは何もエクステだけではない、という話..

 

 

私はまつげエクステを施術してますが、

まつげエクステこそまつげ美容の最高峰とは別に思わないです。

 

 

まつげエクステ

まつげパーマ、

つけまつげ、

ビューラー+マスカラ、

(ここもホットビューラーかそうじゃないかという分け方もできる)

などなど、

 

 

まつげにおける美容の選択肢は今の時代色々あるかと思うんですが、

それぞれにそれぞれの良さがあると思います。

 

 

ざっと簡単にまとめると

 

 

<まつげエクステ>

・アイメイクの手間がずいぶんはぶける

・相手から見た、目を閉じた時のまつげ、伏目のまつげの美しさ

 

 

<まつげパーマ>

・自まつげを面の揃った綺麗なカールに整えられる

・マスカラでのメイクが楽しめる

 

 

<つけまつげ>

・パッと見でわかるほど幅の広いデザインが楽しめる

・短時間その時だけ出したい瞬間最大風速的な華やかさが出る

 

 

<ビューラー+マスカラ>

・とにかく色んなアイメイクを自分の手で追及できる

 

 

って感じでしょうか。

 

 

要はまつげエクステ、まつげパーマ、つけまつげ、ビューラー+マスカラ、

どれでもいいのです。

 

 

自分のなりたい目元が実現できる手段なら。

 

 

もちろんそれぞれにデメリットもありますから。

 

 

実際私自身も常にエクステをしてるかと言われればそうでもなく

使ってみたいマスカラやカラーマスカラがあったら

ビューラー+マスカラな時期を過ごすし

(カラーマスカラとカラーエクステの表現はまた違いますから

↑なんか変なギャグみたいになったけどw)

ダンスするときはつけまつげ使います。

 

 

要は自分のなりたい目元に対して

どの手段が有効か、ということかと。

 

 

なのでぼんやりでも漠然でもいいから

「こういう目元だと素敵だな」っていう自分の中のイメージを

お客様も普段から探していて下さるといいのではないかな、と。

 

 

恥ずかしかったり

私なんかそんなあれだし、、みたいな気持ちがあったりして

ご自身の希望を明確に伝えるのって

お客様側からしたら気が引けたりするかもしれないんですけど

 

 

「こうなりたい」を伝えられて嫌な技術者っていないと思うし

むしろ「素敵♡やろうやろうー!」って技術者が多いんじゃないかな、と。

 

 

ただ「なにがなんでもこうしてくれ!!!!」みたいなのは

「いや無理だから」ってシーンもありますけどねw

ひとまず落ち着いてくれ、とw

 

 

例えばですけど

「視線だけで男の人とちょっといい感じになれるようになりたいです」

って言われたら、私ならちょっと面白くてそれなりに考えます。

あくまで当社比ですけども。

ブルゾンちえみと上戸彩ではやっぱスタート地点がだいぶ違いますから。

 

 

話は逸れましたけど

要はエクステでなくてもなりたい目元は叶う可能性があるし

エクステだから叶うかもしれないし

 

 

もうなんなら素まつげのままが一番かわいいじゃんって人もいるし

 

 

まつげ美容各種それぞれのメリットデメリットを踏まえながら

そのときそのときのベストな選択をできたらいいのではないでしょうか、

という話でした。

 

 

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..あんまり正解にとらわれると動けなくなります..

 

 

正解にとらわれたり間違うことを極端に恐れると

かえって動けなくなるなぁと思うのです。

 

 

そんなことを、友達や子供と話す中で

2日連続思いました。

 

 

例えば子供の場合なら、学校とか。

手を挙げて間違うのが嫌だなぁ、

宿題のプリントを提出した後×がつくのが嫌だなぁとか。

 

 

例えばシングルマザーなら、

この仕事っていう選択肢でお金の苦労なく育てられるのか、とか。

 

 

そりゃみんなできるなら何事も失敗せず、スムーズに進んでいきたいはず。

 

 

ただ失敗を恐れるあまり、あまりにも手堅く手堅くと考えると

かえって自分自身が硬くなり、

のびのびと本来の力を発揮できなくなると思うのです。

(※無茶、無謀を選択しろというわけではないですw)

 

 

近くばかりにとらわれて遠くが見れなくなってもだめだし

遠くばっかり見て近くをおろそかにしてもだめだし

 

 

2+5=7みたいに答えが1つの場合もあれば

「この朝顔を見てどう思う?」みたいな問いなら

答えが1つじゃない場合もあるわけで。

 

 

そういえば最近何でも裏表、対極にある両方が存在して

そのバランスが大事だなぁと思うことも多い。

 

 

books.rakuten.co.jp

 

 

そんな中この本をたまたま読んで

「あ、羽生さんはその両方の大事さを知っていて、

そのバランス感覚がとてもいいのだなぁ」と思いました。

(それは今回話がそれるのでまた別の機会にでも。)

 

 

失敗しない正解を一発目からつかめたらそれはそれでいいのかもしれないけど

それを一発目からつかもうつかもうとしてしまうと

とれる選択肢に柔軟性もなくなって

すると正解をつかもうとしてるはずなのに

可能性も狭まって

結果つかみたい正解からますます遠ざかるんじゃないかなぁと。

 

 

なんでもいいからやってみよう、

間違ってもいいからやってみよう、

聞いたことがない人はいないような聞きなれた言葉だけど

その意味はただ言葉を聞いて浮かべるイメージよりも

もっともっと実際は深いような気がする最近です。

 

 

ちなみに私のことで言うと

例えば月30万稼ぎたかったとして

30万を1つの仕事で稼ぐのか

10万×3つの仕事でいくのかみたいな。

 

 

昔は30万×1派だったと思うんですよねー。

でも実は10万×3のほうが私には向いてる気がするんですよね。

 

 

ただ、個人差はあるでしょうけど

世間的な一般論レベルだと

そこに関する正解は30万×1を思い浮かべる人のほうが多いかと。

 

 

で、多数決的にそっちのほうが多いからって

それを勝手に正解だと思い込んで

自分的視点を忘れて30万×1を掴もうとすると

なかなか動ける選択肢が狭まって難しいと思うんですよね。

(もちろん自分的視点だけに寄りすぎてもだめなんだけど)

 

 

ちなみに3をしんどいと感じるか感じないか、も人によって違って。

一般的にはイメージだけだと3をしんどいと感じる人が多いのかも?

私の場合は1か所にはりつきのほうがしんどいです。

 

 

何か1つを突き詰めるのも大事だし

それが正解みたいな空気って世間的にはあるけど

私は3つそれぞれで学んだことを残り2つにいかすのが

今現在は自分に合っている気がする。

 

 

10万×3が30万×1にいつかなるかもしれないし

30万×1もいつか10万×3になるかもしれないし。

 

 

やりたいこと、やってみたらいいんじゃないですか、と。

で、やりながら微調整かけていくのがいいんじゃないかと。

やりたいことやってたって先はわからないし

やりたくないことやってたって先はわからないし。

 

 

コントロールできる部分とコントロールできない部分ってあるし。

 

 

その時の流れみたいなのもあるし。

 

 

得手不得手は人それぞれ違うから

あまり正解探しにとらわれすぎることなく

自分の持てる力をのびのび発揮できる方法でいきましょう。

 

 

そして誰かを育てるみたいな立場にいる人なら

押し付けることなく

その人の持てる力をのびのび発揮してもらうには

どうしたらいいかって考えるといいのかもしれませんなー。

 

 

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自分自身の正解を探すくせみたいなのについて書いた記事が

あった気がしてリンク貼りたかったんですが、

見つけられませんでしたw