スノオヒト

自分の≪好き≫を大切に。自分の≪素材≫を大切に。

..じゃあなんで私はずーっと【自己否定】してたのか..

 

 

前回こんな記事を書きました。

resuno-ohito.hatenablog.com

 

 

長年考えすぎた原因は自分に自信がないから決めきれない【自己否定】にあるって。

 

 

じゃあ次を考えた。

なんで私は【自己否定】し続けているのか

 

 

そして実はこの原因にはなかなかたどり着けなかった。

というか、見えていたようで見えてなかった。

見えてると思い込んでたから見落としてた、って感じ。

 

 

この【自己否定】の原因は私の学生時代に遡る。

このブログの右にあるプロフィール欄に書いてる内容。

しかも小4から高3くらいまで。

要は受験と勉強の期間。

 

 

この9年位、思い返してみるも私には【褒められた記憶】があまりない

あまりない、というか、覚えている限り、ないw

 

 

勉強が嫌でやりたくないなぁと毎日思ってた記憶。

部屋に入ると勉強したくないから漫画や音楽、映画etcに触れるも、

親の気配を感じると急いで片づけて勉強の≪ふり≫をしていた記憶。

成績表が出た日はリビングの母にパッて渡して逃げるように自分の部屋に行くものの、

すぐに階下から怒りの声で呼ばれる記憶。

成績が悪いから漫画やラジカセ(懐かしいw)などお気に入りのものは

事あるごとに隠された記憶。

 

 

ある時は学校から帰宅すると部屋がぐちゃぐちゃになっていたこともある。

壁のお気に入りの映画のポスターは破られ、

本棚からは本という本(漫画や雑誌だけどw)が引っ張り出されて床に散乱。

あの時部屋の入口から見た光景はいまだに思い出せる。

その時の虚無感みたいなものも思い出せる。

 

 

「本当は勉強なんてやりたくないのに。

漫画家になりたいのになー。

漫画やゲーム、映画や音楽、美容、芸術の世界が大好きなのに。」

毎日そんなことしか考えてなかった気がする。

ひたすらこの日々が終わるのを待つ日々w

 

 

そしてそのまま大人になった。

考え方がちょっと大人になった。

20台後半では子どもも産んだ。

そして親の気持ちってものが多少理解できるようにもなった。

そんな中、自分でも気づかないうちに完全に自分の思考を捻じ曲げてた。

「親は私のためを思ってやってくれたんだ。だから私がいけなかったんだ。」

「あの時私はだめだった」「私はできない子だ」「私は間違ってる」

 

 

今でこそ≪この思考の捻じ曲げの問題点≫がわかる。

でもこの自分に向き合う日々を送るまで、

こんな捻じ曲げをしてることに私は気付かなかったし、

それどころか自分が自己否定してること自体あまり気づいてなかった。

またまた無意識ってコワイ…

 

 

なんでもかんでも褒める必要はないだろうけど、

ただ相手を否定する言葉というのは

発するほうが思ってる以上にその人の中に深く刺さるし

その後にも大きく影響を与えるんだなぁと

自分の小4から高3を振り返って思う。



ひとまず自己否定の原因と思われるもの、発見。