前々回こんな記事を書きました。
◇30数年間ずーっと根底で【自己否定】して生きてきたこと。
◇その原因はおそらく幼少期の体験を自分で無理やり自分自身に納得させ、
自分を悪者にしたこと。
そうやって掘っていくとまた一つ発見があった。
これまたタイトル通り、
自己否定する必要のない自分を自己否定してたんだということ。
前回の記事通り、
小4から高3までの受験や勉強期の私は、
漫画や映画や音楽etc感性に響くアート要素の強いものが大好きだった。
でもそれは「勉強しなさい」という親の元ではあまり許されなかった。
※勉強さえしてけじめをつけてれば許してたという親の言い分が聞こえてきそうだけどもw
内容が前々回と重複するけれども、
大人になった私はそんな昔の出来事を
「親は私のためにやってくれた。だからあの私がいけなかった。」
と自分自身納得させた。
私がいけなかった。
じゃあどの私がいけなかったのか?
それは
≪漫画や映画や音楽etc感性に響くアート要素の強いものが大好き≫な私。
その私を悪者にして否定した。
感性に響くアート要素の強いものが大好きなのは素晴らしいことなのに。
その私は悪くもなんともないのに。
とあるご飯屋さんの女性が私に突然言ったこの話。
「あなたにはずっとほりっぱなしにしてきた≪自分≫がいて、
その子が限界だって訴えてる。いい加減こっちを見てって言ってる。
だから実生活の上でも弊害が出てきてると思うのね」
その時は意味もいまいちわからず余計混乱した部分もあったけど、
おそらくこの、
≪漫画や映画や音楽etc感性に響くアート要素の強いものが大好き≫な私が、
私は悪者じゃないよって訴えかけてたのかもしれないと思う。
「親は私のためにやってくれた。だからあの私がいけなかった。」
なんて思考を捻じ曲げる必要はなかった。
「親は私のためにやってくれた。だけど私は嫌だった。」
で良かったんだと思う。
≪自分以外の他≫を気にしてそこに照準を合わせて自分を決めてしまった。
他人軸を生きる現象ですねw
「親は私のためにやってくれた。だけど私は嫌だった。」
なら、親のせいにしてるわけではない。
自分は自分、相手は相手、と切り離した
【自分軸】になれてるんじゃないかなと思う。
私が他人軸にいたせいで
悪者どころか存分に誇っていい自分を悪者にしてしまってごめんね、と、
あの当時の私、
≪漫画や映画や音楽etc感性に響くアート要素の強いものが大好き≫な私に
言いたいなーと思う。
ほんとに申し訳ないことをしたなぁと思う。
長いこと気づきもされないでつらかったよねと思う。
これからはその
≪漫画や映画や音楽etc感性に響くアート要素の強いものが大好き≫な自分に
しっかり誇りを持って一緒に生きていくんだー。