スノオヒト

私の雑記

..そうだ、出し切ったらあとは《祈る》ことしかできないんだった..

 

 

ある人と喧嘩別れをした。

些細な行き違いから。

自分の勘違いだったかもしれないと思った部分に関してはすぐ謝ったのだけど、

もう遅かったのかもしれない。

結果として喧嘩別れになってしまった。

 

 

この問題が起きてから今まで、

色々思うことはあった。

 

 

でも今、結果として後悔はない。

 

 

だって、色々あーだこーだ考えた後、思い出したから。 

『自分の素直な思いを出し切ったら、あとは《祈る》しかない』

ということを。

 

 

人を無理やり変えることはできないんだ。

私ができるのは、ただ《ありたい自分》であることだけ。

それが自分を愛することであり、相手を愛することに繋がるから。

 

 

自分であるために、素直な思いを表現する。

それを表に出したら、あとは受け取った相手に任せるしかないのだ。

 

 

拒否を示すも正解。

受け入れるのも正解。

中庸も正解。

どれだって正解。

だってそれぞれの《生きたい世界》がそこにあるから。

※拒否を示されたらそりゃあ悲しいけど、

自分が《より素直な思い》を表現した結果なら仕方ない。

 

 

今までならきっと、

『この人はこういうタイプだからここは言わないでおこう』

とか勝手に判断していた。

※それって聞こえはいいけど、自分の中だけで相手を決めつけて、

自分が素直な思いを言わない理由を相手のせいにしている。

 

 

今回は結果として地雷を踏んだ形にはなったけど、

相手を決めつけず、

ある意味相手を信頼して自分の思うことを伝えた。



私の手を離れた《より純度の高い、より素直な思い》が、

相手の中でどう響きどう広がるかは、

私のコントロールしうるところではない。



相手には相手の《生きたい世界》《生きている世界》があるから。

私と相手は違う人間だから。



私にできるのは相手を信頼して、

ただ《より純度の高い、より素直な思い》を表現することだけ。



振り返るとするならば、

その関わりの過程の中で、

*ありたい自分であったか、と、

*より純度の高い、より素直な思いであったか、

なんじゃないかな。