スノオヒト

自分の≪好き≫を大切に。自分の≪素材≫を大切に。

..【《分かり合えない》という事実と《分かり合いたい》という欲求】..

 

 

人と人は基本分かり合えない。

寂しいかもしれないけどこれはやはり事実で、

分かり合えることもないわけではないし

分かり合った気になってるだけだったりしつつ、

やっぱり往々にして分かり合えないというケースが存在する。

 

 

そしてそんなことは頭ではとうに知っていて、

自分に向き合う過程で腑にもだいぶ落ちてきた。

 

 

遠回しながらも、長年いわゆる《わかってちゃん》だった私。

「ああ、相手に理解を求めるというのはちょっとズレてたんだな」、

「自分で自分を理解するのが先なんだ」と、

今はだいぶ思えるようになった。

 

 

とは言え、誰かとの間で何か大きく心を揺さぶられた時、

その気持ちを掘り下げていくとやはり

《分かり合えない状態》に対するもやもやにぶつかる。

 

 

『なんでわかってくれないんだろう』というような

極度のわかってちゃんではないにしても、

『なんでわかりあえないんだろ』

『なんで喧嘩になるんだろ』

『そんなつもりじゃないんだけどな』

という、類似した感情が自分の中に確実に存在する。

 

 

ちなみに今までの私なら、

「だから人と人は基本分かり合えないんだってば」

「わかり合いたいという気持ちを捨てなきゃ」というように、

自分の気持ちに無理やり言い聞かせただろうと思う。

 

 

しかし当たり前のことだが人は一人では生きていけないし、

目の前のその人とわかり合いたいと思う欲求は自然なもので、

それが愛する人ならなおさらだ。

 

 

人と人は基本分かり合えない。

でも、わかり合いたいというその自然の欲求を否定して、

無理やり潰す必要はないのだ。

 

 

ましてや、どうせわかり合えないんだからと卑屈に走り、

最初から突っぱねるのはこれまた更に違う。

(※これもある意味ではわかってちゃんw)

 

 

向き合うべきは、

【人は基本分かり合えないという事実】と、

【それでもわかり合いたいと思うその自然の欲求】。

その2つにどう《折り合い》をつけるかなのだと思う。

 

 

そしてそこで有効なのが《対話》という選択肢。

お互い黙ってたって接点を持たずに過ごしてたって何か違う。

だから対話で相容れる部分と相容れない部分を洗い出し、

相容れない部分はお互い尊重しあって心をより重ねてゆく。

 

 

しかも相容れない部分があって当たり前なのだから、

何も心をぴったりぴったり重ねようとする必要はない。

対話の先に重なる部分は重ね、

重ならない部分はそういうこともあるよね、

と違いを認める、受け入れる。

 

 

更に、こうやって掘り下げていて気付いたことがある。

それは、対話とは何も言葉だけが手段ではないということ。

それが許される関係なら《身体》を重ねて心を重ねるでもいい。

 

 

身体を重ねる関係じゃなくとも、

《声色、顔色、醸し出す空気etc..》

心を重ねる手段は思ってる以上にたくさんある。

 

 

にも関わらず、どうやら最近の私は

言葉や文字という手段に偏りすぎていたように思う。

しかも口から直接発せられる言葉ではなく、文字という手段に。

 

 

深夜のメッセンジャーのやり取りにすれ違いを感じ、

悲しくて泣きたくなって、ふと気付いた。

自分にとっていい掘り下げができたなあと思う。

 

 

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