スノオヒト

自分の≪好き≫を大切に。自分の≪素材≫を大切に。

..【戦いの土俵からおり続ける人生でありたい】と思う..

 

 

日常の中で《無駄に戦ってしまうシーン》は結構あるな、と最近感じている。

 

 

例えば、誰かの一言にイラっとして

そのイライラを乗せたまま反論してみたり、

 

意識的か無意識かは別として

『負けたくない、上でありたい』という気持ちから

不細工な対抗心を表に出したり見栄をはってみたり。

 

 

もっと細かいところで言えば、

電車を降りたあとのエスカレーターへの道すがらで

狭いホームを我先にと急いだり、

 

横断歩道を渡るだろう歩行者より先に

車で通過しちゃいたいとスピードをあげてしまうとか。

 

 

まああげればきりがないと思うんだけども。

 

 

自分自身を振り返ってみて、

《本来なら不要な反発のエネルギー》を発する瞬間、

それは本当に日々まだまだたくさんあるなあと思う。

 

 

そんな最近ふと道を歩いていて、

さっきの横断歩道の歩行者が自分というシチュエーションがあった。

 

 

「あ、この車より先に行きたい」

そんな自分の《我》がその瞬間出て、そのまま足を速めた。

 

結果特に危ないこともなく、

はたから見ても日常以外の何物でもない光景で私は車より先に渡れたのだけど、

何かちょっとした違和感が私の中に残ってしまった。

 

 

「あ、今無駄に戦ったな」

そう感じて、そんな自分が可笑しく感じた。

 

 

『先に渡っちゃいたい』という《我》は、

自分自身の中の無駄な力みにつながった。

 

その私の、微量だけども、

でも確かに反発や攻撃のエネルギーが入った、

その自然体でない姿が、

横から来る車のエネルギーと調和しなかった気がする。

 

 

結果、私の中に違和感。

 

 

『もう少し車も速度を落としてくれたらいいのに』

今までの私なら何の疑問もなくそう思っていたかも。

 

でもあの瞬間はおそらく、

私が自然に速度を落としたほうが

全体のエネルギーの流れがスムーズだったと思う。

 

 

『先に渡っちゃいたい』

自分の《我》が出たことで、

その微量の反発や攻撃のエネルギーが自分にはね返ってきた気がする。

 

 

今この瞬間、不調和だったな、という違和感。

 

 

生きていく中で【戦いの土俵からおり続けたい】と思う。

 

 

誰か、という人に対しての話はもちろん、

あらゆるシーンに置いて。

 

 

それは何でもかんでも自分を後回しにする、とか、

そういう話とはまた違うんだけども。

 

 

 

f:id:resuno-ohito:20161008115111j:image

 

 

写真はある日の朝。

今住んでるところの窓から見えた朝日が綺麗だったので。

 

 

Facebook

https://www.facebook.com/moriko1202
(↑一番更新している)
 
Twitter
https://twitter.com/moRiko1202
(↑たまに突然)

 

★LINE@

女性限定でお願いします。
自分の≪好き≫を大切に、
自分の≪好き≫に正直になる
そんな《性とsex》の軸が自分にあるといい。
そこをライトに話すLINE@グループ。
少し突っ込んだ内容でよりpersonal。
http://line.me/ti/p/%40osz8713o
(↑最近あんまり書いてませんが、過去の更新は見れるのでよければどーぞ。)