スノオヒト

自分の≪好き≫を大切に。自分の≪素材≫を大切に。

..【必要以上に狭く狭く入り込みそうなときは、あえて違う方向にどーんとおっきく振ってみる】..

 

 

少し前に一年ぶりに腰をいためてしまいまして、

「わー、どこがいけなかったかな」

「なんだかんだ新しく慣れない環境で雑な身体の使い方をしていたかな」

「こっからもう一回どうする」etc...

考えすぎてもいけないと思いつつもどっかで考え始めるわけです。

 

 

で、腰の調子が悪いから腰の話だけを考えてればいいんだけど

そういう時にしがちなのが無駄な派生ww

 

 

そもそもなんで踊ってんの」とか

「日本人である私がわざわざベリーダンスをする意味って何だろう」とか

「私よりうまい人はごまんといるのに私があえて踊る必要って何」とかww

 

 

やめときゃいいのに考える。

調子悪いときに考えたっていい考え浮かぶはずないのに考える。

やめようと思っても考える。

上沼恵美子も「深夜に考え事していいことひとつもあらへん」って言うてたなぁ』

と思いながらもやっぱり考えるww

 

 

世界は広いのに、勝手に一人で狭いほう狭いほうへ入り込む。

しかも今の段階の自分に答えが出せないことまで考え始めるww

 

 

そんなことを数日続けて、

とうとう逆に振りました。

 

 

世界は広いのだとはとりあえず知っているから

狭いほう狭いほうへ入り込む自分を広い世界へ放り込む。

 

 

今自分がフォーカスしてる世界とは違う世界に触れること。

 

 

聴きたいなぁと思った曲をとりあえず聴いてみる。

(今回は葉加瀬太郎の“冷静と情熱のあいだ”から始まり、初期のimageでした。

ヨーヨー・マリベルタンゴとか。)

表現は表現でも自分のしてる表現とは一見関係なそうな表現に触れる。

(ロバート秋山さんのクリエイターズファイル祭に行く予定が入ってた。)

 

 

そんなことをしてるうちに自然と、

狭く狭く入り込んでた世界から出てました。

日常的に触れてるわけじゃない分野の良さを知って

『世界広いな』ってなって、

少し前まで入り込んでた世界に対しても距離をとれるようになるのです。

 

 

それ、気分転換って言うんだよ、と言われれば確かにそうなんだけどw

またちょっとそれとも違うような作業。

 

 

でも私はずーっとそれができなかったんですよねー。

かなり長い間。

同じことに数週間数か月平気で囚われる人だったww

 

 

美容師の時とか特に、

毎日忙しくてその世界に埋没していて、

世界が広いなんてこともわかってなくて

毎日疲れててww

 

 

でも離れてしばらくしたときになんか思ったんですよねー。

ほかの世界に触れる時間を意識的に持っていれば

たとえハードで疲れていたとしてもw

もうちょっと違う感じでその仕事と関われていたかもしれないな、って。

 

 

だから今回やってみました。

狭く狭く入り込む自分に広い世界を見せる作戦。

 

 

成功っぽい☆

 

 

あくまでも私の主観だけど

imageコンピレーションの一作目は表現することを楽しんでる感じの音に聞こえる。

ロバート秋山のクリエイターズファイルも本人が楽しそうに見える。

(どっちにも私の想像以上の産みの苦しみみたいのはたぶんあるんだろうけど)

 

 

表現を楽しんでる表現を見ると

「あぁ、自分もこういう楽しさで最初やってたんだな」

って思い出すというか

なんかほどける感じになりました。

 

 

この世界はどんな小さなパーツもすべて表現に溢れてる。

自分では表現とは無縁だと思って過ごしてる人も

毎瞬毎瞬すべてが表現のように私は感じる。

 

 

おやすみなさい☆★

 

 

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